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2018/09/10 up

【9月8日】第一回Fencing Vision Forumに登壇いたしました。

World Fencing Dayである9月8日に行われた第一回Fencing Vision Forumに登壇し、
LGBTや多様性とスポーツの関係性についてお話しさせていただきました。
その際改めて考えたことを下記にまとめましたので御覧下さい。

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【LGBTとスポーツについて考える】

「フェンシング元女子日本代表」という肩書。
今ではありがたく、また非常に便利に使わせてもらっているのだが、実はこの肩書を使うたびにちょっとした罪悪感がある。
何故なら、僕はそんなに強い選手ではなかったからだ。苦笑

ここ一番の勝負弱さはフェンシング界でも有名だったし、一本勝負で勝ったためしなどない。。。
なんとか日本代表になることはできたけど、代表と言ったって正式なナショナルチームに所属していたのはたったの一年間。
僕よりはるかに活躍していた仲間たちを差し置いて「元日本代表」という肩書で偉そうに人前で話す自分には
いつも負い目を感じている。

ただ、2020が近くなり「スポーツとLGBT」というテーマで話をする機会が増えていく中で、
現役時代を改めて思い返し気づいたことがあった。それは、

「何故、僕はあそこまで勝負弱かったのだろうか?」 ということだ。

小さいころから練習だけは真面目に積み重ねてきたので、ある程度のテクニックとそれに耐えられるだけの
肉体は整っていたと思う。練習では自分より格上の選手とだってそこそこの勝負ができた。
ただ、いざ試合本番となると誰が見ても明らかなほどの精神的弱さから勝負には勝てなかった。
様々なメンタルトレーニングも試したが、結果的にはその弱さを乗り越えられないまま、
逃げるように引退してしまった。

引退してから10年以上経った今でも、僕はその弱さをずっと自分のせいだと思い込んでいた。
しかしつい先日、LGBTとスポーツの話をしていた時に出て来た「心理的安全性」というキーワードに
ハッとさせられたのだった。

心理的安全性(psychological safety)は、周囲の反応に怯えたり羞恥心を感じることなく、
自然体の自分を曝け出すことのできる環境や雰囲気のことで、Google社が『心理的安全性は
成功するチーム構築に最も重要である』と発表したことで注目を集めた言葉だ。
ようは職場で心理的安全性が保たれているとパフォーマンスが発揮しやすいという話なのだが、
「職場」を「練習場」に置き換えて考えてみるとどうだろうか?
僕が選手だった時代、練習場や試合会場は果たしてどこまで心理的安全性が保たれていたのだろうか?

「その程度でバテるなんて、おまえはオカマか!」と、スタミナ切れした男子を野次るコーチと
それを笑う選手たち。試合に負ければ、「男っぽいのは見た目だけか? ここ一番に弱いなんて、
そうゆうとこだけ女の子が出ちゃうんだな。」
ジェンダーやセクシュアリティをネタとしたこんな会話は日常茶飯事だった。

そのような状況の中で、「僕」と思いながら「女子の部」に出ている自分には常に罪悪感があったし、
汗に濡れたTシャツが体にはり付く事で、胸の膨らみがまわりの仲間にどう見られているかばかりが気にった。

今思い返してみれば常に何かに怯え、自分のセクシュアリティがバレないように必死だった。
競技に集中できていなかったのは明らかだ。

また、ここ一番の勝負のときに必要なのは、己を信じる力ではないだろうか。
一番苦しい場面で頼れるのは自分だけ、最後はどれだけ自分を信じることができるかだ。
常に自分がいけない存在だと責めていた僕には、自分に対する自信が圧倒的に欠落していたように思う。

もしもしっかりとフェンシングに集中できる環境があったら僕は今ごろ…

たらればの話をしても仕方ないのは承知の上でも、考えずにはいられない。
もちろんあらゆる課題を乗り越えて活躍するアスリートは沢山いるし、いい訳だと言われればそれまでだ。
そもそも僕のメンタルが弱すぎただけかもしれない。
この経験を今に重ね合わせてみる。
昨今ではスポーツ界の様々な問題が話題となっているが、どの問題にも共通しているのは
選手・コーチの心理的安全性が保たれていなかったが故に起きた問題であるということだ。
そして残念ながらこれらの問題は氷山の一角にすぎず、いつどの競技団体でも起こりうる、
スポーツ界全体で抱えている大きな課題ではないか。

改善のために、まずは選手・コーチの心理的安全性を第一に考えてほしい。
その上で協会・コーチ・監督など人材の流動化を図り多様な視点を取り入れ、コーチも選手も
心おきなく競技に集中できる環境をつくること。団体内の政治やしがらみに捕われず
選手選考を明確にすることなどが必要となる。

勘違いしてほしくないのは今でも僕はフェンシングが好きだし、フェンシング仲間も大好きだ。
もう10年以上前の話を掘り返してただ文句を言いたいわけではない。
引退してから10年以上経った今だからこそ、あらゆる経験を総合的に活かして、
フェンシング界やスポーツ界に貢献したいと思っている。

選手が競技により集中できる環境をつくる手伝いをすることで、
あの時取れなかったメダルをまたみんなと一緒に目指せたら、それほど嬉しいことはない。

(杉山文野より)